2011年01月08日

貯金ゼロ、あるいは20代からの人生入門

 
金持ちがさらに金持になり、貧乏人がさらに貧乏になり、いわゆる「中流」の人たちがいつも借金に追われている理由の一つは、お金に関する教育が学校ではなく家庭で行われるからだ。たいていの人は親からお金について学ぶ。となれば話は簡単だ。貧乏な親は子供にこう言うしかない…「学校に行って一生懸命勉強しなさい」。子供はいい成績で学校を卒業するかもしれないが、頭に入っているお金に関する知識は貧乏な親から教えてもらったものだけだ。このお金に関する知識は子供がまがごく幼い時期に教え込まれるので、さらに始末が悪い。
学校ではお金について教えない。学校で教えるのは学問的知識、専門的な技術だけで「お金に関する実際的な技術」は教えない。学校で優秀な成績をとったはずの銀行員や医者たちが、一生お金のことで苦労しなければならない理由の一部はここにある。
国家も同じだ。国家が財政難に苦しんでいる理由の一部は、高い教育を受けたはずの政治家や政府の役人が、お金に関する訓練をまったく、あるいはほとんど受けないまま財政上の決定を行っていることにある。<金持ち父さん貧乏父さん:ロバート・キヨサキ>


前回の 『新社会人におすすめのビジネス書』 を投稿するついでに、久々に 『金持父さん貧乏父さん』 を再読したのだけれど、これがなかなか面白くて、数ページほど拾い読みするつもりが、結局最後まで通読してしまった。


恐怖が彼らを罠のなかに閉じ込めているんだ。「いつか恐怖がなくなることを願いながら仕事をしてお金を稼ぐ、それでも恐怖がなくならないからまた仕事をしてお金を稼ぐ…」っていう罠にね。
でもいくら働いても次の日に朝起きると、いつもそこに昨日と同じ恐怖が待っている。何百万人という人が、昔から変わることのないこの恐怖のために、心配で悶々とした眠れない夜をすごす。だから、朝になるとベッドから飛び出して仕事に行く。自分達の魂を蝕むこの恐怖を給料が消してくれるのではないかと願いながらね。
こういう人の人生はお金によって動かされている。でも、本人達はそのことについて本当のことを語ろうとしない。実際は彼らの感情も魂もお金に支配されているんだけれどね。<同>


上記のように、本書は半分くらいが人生哲学(自己啓発的なもの)について書かれていて、もう半分は資産と負債の違い、節税に関する知識など、ファイナンシャル・リテラシーについてのものだ。金持父さんの言うように、あなたが一端のサラリーマンであるなら、お金に関する最低限の知識(簿記3級くらいなら誰でも受かる)は絶対に持っておいたほうがいい。
そんなわけで、タイトルにもある通り、今回は「貯金ゼロ」サラリーマンの恐ろしい未来とその対策について考えていこうと思う。

何を隠そう、僕も「銀行預金」というのは限りなくゼロに近い。
というか、銀行預金が嫌いだからそういう状態にしているのであり、惨めな綱渡り生活を送っているわけじゃないんだけれど、実際のところ、20代の若者はほとんどが貯金ゼロであり、1ヵ月間働いてもらった給与で次の1ヶ月をなんとかやりくりするらしい。そんなだから、給料が振り込まれる25日前後には給与振込口座の残高は1000円を切っている状態。まるで東京で一人暮らしをしていた学生時代の僕みたいだ。
しかし、よく考えてみてほしい。これから30歳、40歳となるあなたは、そんなギリギリの生活を今後も続けていけるのだろうか。ここで怠惰な人間は「もちろん、今の状態をこのまま続けていくのは良くないことくらい自分自身でも分かっている、けれどまだまだ時間はたっぷりあるんだし、焦ることはない。」と、そう考える。
…焦ることはない。このような思考回路の若者には、おそらくセーフティネットがあるのだと思う。
「親」という名のセーフティネットが。
実際のところ、綱渡りの生活をしていた20代サラリーマンが明日失業しても、次の職に就くまでは「親」が面倒をみてくれるだろう。しかし、その安心感がこそが「貯金ゼロ」の根本的原因でもある。

20代の若者にこれから訪れる「人生の転機」は大型出費の連続である。引っ越しをするにしても敷金や礼金、引っ越し代などがかかるし、貯金ゼロがないと身動きがとれない。さらに結婚、出産、子供の教育費、あるいは家族の医療費…。どれをとってもお金がかかるけれど、これが年金生活に突入するとさらにヤバいことになる。 65歳くらいになったら、仕事を辞めて年金生活に入っていくことになるのだが、国からもらえる年金のみで老後を暮らせるわけがなく、実際には、多くの高齢者が年金をベースにして、手元の貯金を取り崩しながら生活しているのである。というか、僕達の世代が年金をもらえる年齢にになる頃には、国の年金水準が今よりも引き下がることはすでに確定的だし、最近では、本当に年金がもらえるのかという疑問まで囁かれるようになった。
まあ、貯金ゼロ対策として一番良い方法は、やはり貯金の自動化だろう。給料が入ったら、すぐさま自動的に別口座へ送金するような積立型の貯金システムを作ってしまえばいいのだ。
…と、僕みたいな人間がこんなことを言っても説得力に欠けるけれど。

一方で、20代は貯金なんかをするよりも『自己投資』をする方が大切だという意見もある。実は僕もそういう類の人間で、今までで一番、何にお金を使ったかというのを思い返すと、恐らく書籍類だと思う。
現在でこそ、月に購入する書籍は10冊から20冊程度になったけれど、学生時代は最低でも1日1冊買わなければ気がすまなかった(笑)
自己投資(自分自身にお金を投資すること)については勘違いしている人が多く、自己投資というのは仲間と酒を飲むことではないし、化粧品や永久脱毛など『自分磨き』といった外見的なものへの投資でもない。 30代、40代になったとき、過去に自分に使ったお金でどれだけ多くのリターンが得られるかということ。
「投資=リターン」が利益を得るための最大原則である。ようするに、20代で自分に蓄積したものが、それ以降の人生を左右するのであり、それはその人の自信へも繋がっていく。

 
posted by もときち at 11:10 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2011年01月05日

新社会人におすすめのビジネス書

僕自身、学生時代は文学作品や哲学書ばかり読んでいて、ビジネス書というのはあまり(というか全く)読んでいませんでした。
ところが、企業に就職して社会と関わるようになり、さらに独立起業して仕事をするようになってからというもの、文学作品の類を全く読まなくなり、最近ではビジネス・経済関連の本ばかり読むようになってしまいました。まあ、ただ単に面白い小説がなくなった…という理由もあります。村上春樹以降、日本の文学界は滅亡の一途をたどっていますし、海外でも面白い作家がめっきり少なくなってしまった。なにしろ、芸能人の書いた小説が純文学(!?)としてベストセラーになる時代なんだから…。
そんなわけで、週3回は書店に足を運ぶ僕も、最近は文芸コーナーはスルーして、まっさきに金融・マネー誌、それからビジネス新刊コーナーへ行くようになりました。

…さてさて、ちょっと前置きが長くなりましたが、今回は僕が実際に読んだことのあるビジネス書で 「これから社会人になる学生さんにお勧め。」 というものを、何冊か紹介していこうと思います。
「企業」という組織の一員になること。ビジネスという新しい人生のスタートに夢見る新社会人は、最低これくらいは押さえておいたほうがいいかも?


金持ち父さん貧乏父さん [単行本] / ロバート キヨサキ, シャロン・レクター(公認会計士) (著); 白根 美保子 (翻訳); 筑摩書房 (刊)金持ち父さん貧乏父さん
お金に関する常識を真っ向から解説している本。なぜ彼は有名大学を出た高学歴でありながら低収入なのか。なぜ彼は高校中退でありながら億万長者になれたのか。
学校教育では教えてくれない…いや、下手をしたら社会に出ても一生気づかないまま終えてしまうかもしれない「お金のリテラシー」について。
もちろん、あなたが「額に汗して真面目に働くこと」こそビジネスの本質だと主張するのなら本書を読む必要はない。


フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 [ハードカバー] / クリス・アンダーソン (著); 小林弘人, 小林弘人 (監修); 高橋則明 (翻訳); 日本放送出版協会 (刊)フリー
2009年の出版から1年以上が経った現在…。ネットビジネス、WEBの世界でいったい何が起こっているのか。それらを総括して、手っ取り早く知るためには最適な一冊。
たとえば、Googleはサービスのほとんどを0円=無料で提供しているのに、いったいどこからあんな莫大な収益をあげているのか。
インターネットについて書かれた本ではあるが、無料化問題はIT企業にとどまらず、音楽・出版業界にも大きな打撃を与えている。


ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則 [単行本] / ジェームズ・C. コリンズ, ジェリー・I. ポラス (著); James C. Collins, Jerry I. Porras (原著); 山岡 洋一 (翻訳); 日経BP社 (刊)ビジョナリー・カンパニー
いまやビジネス書の古典として地位を確立した本書は、若いビジネスマンを中心に絶大な人気を誇っている。
100年経っても存続し、社会に影響を与え続ける企業には、いくつかの法則がある。本書は、そういった「歴史に名を残す企業」を組織したいと考えている経営者に向けて書かれた作品。 100年企業を設立した起業家たちは、まず始めに「どのような商品を作るか」ということよりも「どのような会社にしようか」を相談することから始めた。会社とは作品である。


キャズム [単行本] / ジェフリー・ムーア (著); 川又 政治 (翻訳); 翔泳社 (刊)キャズム
マーケティング関連の書籍としては読み易く、コトラーはちょっとお堅い… という人にお勧め。
市場では必ずしも「良い製品」が売れるとは限らない。それがまだ我々が体験したことがない、夢のような機能を備えていた新製品だとしても。
大切なのは、その新製品をマーケットの軌道上に、いかにして着地させるかということである。市場には、新製品にいち早く反応して興味を示す先駆層と、新製品が業界標準に固まるまで購買しない保守層とがいるのだ。


イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press) [単行本] / クレイトン・クリステンセン, 玉田 俊平太 (著); 伊豆原 弓 (翻訳); 翔泳社 (刊)イノベーションのジレンマ
ある巨大企業は業界ナンバーワンの技術と収益性を持っていた。
しかし、そこに全く新しい概念を持ち込んだ会社が新規参入することによって、古き巨大企業は滅びていってしまう。
ここ最近のもっとも分かりやすい事例でいうと、インターネットという「破壊的イノベーション」によって、我々はわざわざ新聞を購読する必要がなくなった。CDを店舗で購入せずとも、ネット上でダウンロード出来るようになった。技術革新は「既成概念」にすがっていた企業を滅ぼすのである。


競争の戦略 [単行本] / M.E. ポーター (著); 土岐 坤, 服部 照夫, 中辻 万治 (翻訳); ダイヤモンド社 (刊)競争の戦略
多くの経営者からストラテジーの最高峰との評価を受けている名著。
企業を取り巻く要因、競合他社、差別化、新規参入業者、顧客ニーズや業界の環境などなど、ビジネスの教科書的な語句のオンパレード。
ドラッカーの著書のように、おカタい経営学の書として名高く、途中で挫折する人も多いらしい。大学の経営学部でもよくテキストとして利用されているので、既にご存知の新社会人も多いのでは。挫折者のために「ポーター教授・競争の戦略」の入門書も出版されている。


MBAバリュエーション (日経BP実戦MBA) [単行本] / 森生 明 (著); 日経BP社 (刊)MBAバリュエーション
うちの会社は(あるいは自分の職種は)企業買収とかはあまり関係ないかな…という人にもお勧めの一冊。
ところどころ面倒くさい数式も出てくるけれど、企業価値=会社の値段の算定方式について、これ以上分かりやすく書かれた本は他にない。
会社を売り買いする場、それが株式市場であり、M&Aという活動である。
うちの会社は、いったい「いくら」なんだろう。本書は、そんな素朴な疑問に多角的な視点からこたえてくれる。


 
posted by もときち at 10:56 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2010年11月23日

1968

1968年は、世界史を画する歴史的ターニングポイントであると言われ、パリにおいては「五月革命」と呼ばれる民衆の反体制運動が勃発し、世界的学生動乱の拡大に大きな影響を与えた。この時期には、フーコー、ドゥルーズ、デリダといった、そうそうたる顔ぶれの思想家達が登場し、それぞれが後に代表作となる著書を上梓している。ビートルズの人気絶頂期もちょうどこの頃。日本ではそれから2年後に、三島由紀夫が割腹自殺をした。

1968年、それは「マルクス」が神のごとき色彩を放っていた時代でもあった。地球上で次々に市場を拡大していこうという資本主義に抵抗する若者たち、それが60年代のマルクス主義である。現在、団塊の世代と呼ばれる大人達がまだ学生であった頃のことだ。
大学における全共闘運動、ベトナム反戦運動といった過激なデモ。さらに70年代になっても「よど号ハイジャック事件」や「浅間山荘事件」など、マルクス原理主義の若者達による暴動は幾度にわたって発生した。ある一つの宗教や思想、物の考え方を100%信じる人間のことを「原理主義者」と呼ぶ。イスラム原理主義などと、その呼び名を聞いたことはあるだろう。原理主義は、自分達の信奉する思想を100%正しいと信じて疑わないため、時として「聖戦」などと称して、無実の一般人を巻き込むテロを仕掛けたりする。たとえば「よど号ハイジャック事件」も、赤軍派と呼ばれる原理主義者たちが引き起こしたものである。
現在では信じられないような話だが、当時は旧ソ連や北朝鮮といった社会主義の国に憧れる日本の若者達が後を絶たなかった。社会主義というのは資本主義の対極に位置するシステムであり、日本の若者達は、日本にも社会主義が定着すれば、誰もが豊かになり、貧富の差がない平等な世界が実現するのだと100%思い込み、それらが60年代後半の過激なデモに発展していったわけだが、その中でも象徴的だったのが1970年3月に起きた「よど号ハイジャック事件」なのだ。
赤軍派のメンバーが羽田発の日本航空「よど号」をハイジャックして北朝鮮へと亡命したのである。彼らは北朝鮮に行けば、そこには理想の社会があるのだろうと信じて疑わなかったゆえ、無実の一般人を巻き込んだ…、原理主義のやり方である。もちろん、彼らの夢はやがて崩壊する。

近代史において、自由主義は全体主義と共産主義を相手に闘争を続けてきたが、第二次世界大戦で全体主義が敗北し、 90年代に至っては旧ソ連の崩壊で共産主義が敗北した現在、歴史は自由主義の勝利を持って終わったのである。
冷戦に勝ち抜いたアメリカ側が自由主義の「勝利宣言」をしたこの時点で、1968年の思想は完全に残滓となり、全共闘運動も、それに関わった若者たちも、人々の記憶から忘れられていった。

―1968年は、歴史という「大きな物語」が存在した、最後の時代であった。
マルクス主義という言葉が生きていた時代。哲学という学問がまだ有効であった時代。しかし、歴史は行き詰まり、現在は「ポスト・モダン」と呼ばれる時代へと突入したわけだ。
ジャン=フランソワ・リオタールは、進歩の先には必ず幸福があると信じていた、そんな「大きな物語」は終わったのだと 『ポスト・モダンの条件』 のなかで語っている。だからこそ「1968」はかくも魅力的な数字として、大きな物語を知らずに生まれた僕の心をとらえて放さない。


Just lying in a bar with my drip feed on
talking to my girlfriend waiting for something to happen
I wish it was the sixties
I wish I could be happy
I wish, I wish, I wish that something would happen.

<Radiohead : The Bends>


posted by もときち at 12:53 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2010年11月20日

マルクス入門


資本論 1 (岩波文庫 白 125-1) [文庫] / マルクス (著); エンゲルス (編さん); 向坂 逸郎 (翻訳); 岩波書店 (刊)一昔前までマルクスの『資本論』は、アダム・スミスの『国富論』とともに、経済学部生の必読書だったらしいが、今ではマルクスを原典で読む学生はほとんど消滅してしまったという。だから、かつては常識であったマルクス経済学のイロハを知らない学生が増えているらしい。僕自身も『資本論』を通読したことはなくて、拾い読み程度しかしたことがないんだけど。 (同様に『失われた時を求めて』も通読は不可能である…。)
不景気、経済の不安が囁かれ始めると、決まってマルクスやケインズといった経済学の古典が注目されるようになる。


商品はまず第一に外的対象である。すなわち、その属性によって人間の何らかの種類の欲望を充足させる一つのものである。これらの欲望の性質は、それが例えば胃の腑から出てこようと想像によるものであろうと、ことの本質を少しも変化させない。ここではまた、事物が、直接に生活手段として、すなわち、享受の対象としてであれ、あるいは迂回をへて生産手段としてであれ、いかに人間の欲望を充足させるかも、問題となるのではない。<資本論:マルクス:向坂逸郎訳>


「資本論」は序盤からこんな感じである。マルクスの著作は、小難しい表記が多く、これらを把握していないと、最初のうちは読み進めていっても意味がわからないのだけれど、実は慣れてしまうとあまり苦にならない。抜粋した文章内の「商品」というキーワードも、マルクスの著作を読み進めていくうえで、最も重要なキーワードのひとつである。
それが書物であれ絵画であれ、「モノ」が商品として売買されるのは、それになんらかの「価値」があるからである。そして、その商品の価値は、その商品が生産されるためにつぎ込まれた「人間の労働量」により決まる。多くの人間が、多くの時間を費やし生産された商品は、それだけ価値が高いし、一方で、少ない人数で簡単に、少しの時間さえあれば生産できてしまうような商品は価値が低い。

さて、商品が生産されると次に「交換」が始まる。 A君は自分の畑で「野菜」という商品を生産し、B君は狩りによって「肉」という商品を調達してきた。 A君がB君の商品を欲し、B君がA君の商品を欲した場合、そこに「野菜」と「肉」の物々交換が生まれるわけだ。そして、ある時点でA君が野菜を栽培するまでに費やした労働量、B君が狩をして肉を調達するまでに費やした労働量それぞれを、数値に置き換えることにした。それが「価格」であり、同時に「貨幣」が生まれたのである。

貨幣の発生は必然的なものだった。 たとえば、B君は自分の持っている商品を何か別の商品と交換しようと思っていた。もちろん、自分の欲しいものである。だから、B君は自分の持っている「肉」と見合うだけの使用価値がある商品でなければ満足がいかなかったわけだ。ここでA君が自分の「野菜」とB君の「肉」を交換してくれないかと申し出るわけだが、B君はそれに応じない。何しろこの「肉」は、命の危険をおかして、やっと手に入れた貴重な商品なのだ。畑でぬくぬくと生産されている「野菜」なんかと釣り合うわけがない。こうなると、2人は「自分の商品を別のものに交換したい」と思っているにも関わらず、意見が一致せず交換は永遠に成立しない。
物々交換にはこのような弱点があり、だから「商品」と「商品」の間には「貨幣」が入らなければならなかった。すなわち、貨幣とは交換=商品流通の手助けをする存在なのだ。このことから、貨幣にはまるで全ての商品の価値を計れる絶対的なものとして認識されるようになった。マルクスはこれを貨幣の「物神的性格」などと呼んだ。

交換経済がもう少し発展すると、商売が生まれてくる。商売の基本は「利益を生み出すこと」である。 100円の材料を使い生産された商品には、確かに100円分の価値があるのだが、その商品はなにも材料のみで自然発生したわけではない。それを生産するための労働力なども加算し、120円の価格で販売しなければ「利益」は出てこないのだ。この商品120円から材料100円を引いた20円分の価値を、マルクスは「剰余価値」などと呼んだ。剰余価値は商品を生産する過程でのみ発生する価値なのである。

ここで「資本家」と「労働者」という2種類のタイプが生まれてくる。資本家とは、まあ簡単にいってしまえば会社の社長であり、労働者とは社員である。
あるとき資本家タイプのB君は、もっと多くの「肉」を生産するために、たくさんの人間を集めて狩猟団を結成した。大勢で徒党を組んで狩りをすれば、命を落とす危険性も低まるし、より多くの獲物をゲットできると考えたからだ。もちろん狩猟団のリーダーはB君であり、彼は狩猟で獲得した「肉」を村の人々の販売し、多くの貨幣を手に入れた。そしてB君は狩猟団のメンバー全員に、取り分として少しずつ貨幣を分け与えた。そう、B君こそが「資本家」であり、狩猟団のメンバーこそが「労働者」である。
だが、しばらくするとB君の狩猟団に予期せぬ事態が起こる。隣の村から新しくC君という資本家がやってきて、B君よりも安く「肉」を販売し始めたのだ。いわゆるライバル企業の登場である。 C君が、なぜB君よりも安く「肉」を販売できるかというと、彼は狩猟なんていう原始的なことをやめて、牧場で牛や豚などの食用肉を大量生産していたからだ。しかも、狩猟団のようにたくさんのメンバー(社員)を募ることはない、牧場を管理する数人程度の労働者を雇えば事は足りてしまうのである。
B君は焦って、自分も牧場経営型の食肉販売を始めることにした。そして、ここで初めて「リストラ」という行為が行われる。今まで何十人もの狩猟団メンバーを雇ってきたわけだが、牧場管理にはそんな多くの労働者は不要なのだ。

このように、ライバル企業に差をつけて、自分の会社だけもっともっと多く利益を出そうとする行為は、必然的に「失業」へと繋がっていくのである。経済が発展すると新しい技術・機械が発明され、「肉」や「野菜」に限らず、あらゆる商品の生産活動が自動化=機械化されていく。今まで手作業で生産していた商品。それをもっと安価な労働力で大量に生産するためには機械の導入が必要だ。資本家は「機械」を雇い、人間という労働者の職を失くしていくのである。そう、労働者の最大の敵は「技術の進歩」なのだ。
技術の進歩により失業者が増えるということ、それは「貨幣」を持っている人間の総量が減少することを意味する。つまり、資本家は自らの商品を売りたいがために生産の機械化をし(失業者を増やし)、自らの商品を購入してくれる世の中の消費者も同時に減らしてしまっている。
どうやら、資本主義は必然的に「破滅」へと向かうように決定付けられているかのようである。 元々は、利益を追求するためにしていた行為=技術の進歩が、この世界ではまったく逆効果に働いてしまっている。
マルクスはそこに「資本主義の矛盾」があるといった。

posted by もときち at 10:47 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2010年11月17日

国家破産、あるいは初心者のためのハイパーインフレ入門

最近は、日本の財政破綻ブームらしいです。
書店にいくと「2012年日本国家破産!」だとか「日本破滅まであと5年!」みたいなタイトルの本が山積みされております。「国家破産」や「財政破綻」というキーワードでGoogle検索してみるのも面白いですね。
「いつ国家破産が起こるのか。」とか「日本が国家破産する可能性。」とか、ノイローゼ的な検索候補がずらりと並んでいます。
国家破産

経済は人間の感情(心理)で動いています。以前、LTCMが破綻した時もそうでした。LTCMはマイロン・ショールズやロバート・マートンといった経済学者が中心となった、いわば資産運用のドリームチームみたいなグループで、ノーベル賞まで受賞しています。 LTCMは、簡単に言ってしまうば、人気が高く割高な商品を空売りしていたわけです。彼らが空売りする理由は、ようするにこの商品は本来の実力よりも過大評価されていて、いつか値下がりするだろうと予測していたからです。ノーベル賞受賞の天才たちがそう言うのだから間違いありません。
ところが、起こるはずがないとされていた「ロシアの国家破産」が起こってしまい、LTCMの運用は全て裏目に出てしまいます。日本の国家破産も、冷静に分析してみると「起こるはずがない」ように思えてしまいますが、果たして本当にそうなのでしょうか…。まあ、僕にはわかりません。

書店では「破綻する派」と「破綻しない派」の壮絶なバトルが繰り広げられていますね。「破綻する派」には、辛坊治郎・浅井隆など面妖な論者が並び、「破綻しない派」には、高橋洋一・三橋貴明・上念司といった名前が並んでいます。
書物的に一番面白いのは副島隆彦という人(どちらかというと破滅願望者か?)の著書で、経済予測本でありながら、極上のエンターテインメント小説であるかのようなその幻想的な内容、熱のこもった文体には抱腹絶倒させられます。


この国の表面に出ている知識、情報などの多くは、ウソばかりだ。アメリカに飼育され、洗脳されつくした日本メディア(テレビ、新聞)が垂れ流す捏造情報ばかりである。私は彼らと違って自分のお客様(読者)を騙さない。本当のことだけを書いてきた。私たちが見ているテレビや新聞などはウソつきの山で、ウソ八百のガラクタ知識の山だということを、本当に頭のいい人ならそろそろ気付いている。

… おかしなことに、今年の1月30日の、スイスでのダヴォス会議(世界経済フォーラム。世界の最高支配者たちが一堂に集まるビルダーバーグ会議の表の顔)に、普通は、日本は首相が参加することになっているのに、今年はなんと仙谷由人が日本政府代表として参加している。ここで、奇怪な儀式か何かに参加させられて、仙谷は脳におかしなものを吹き込まれたのだろう。「センゴクよ。今後は、お前が中心となって私たちに、日本の資金をもっと貢げ。いいか」と。<新たなる金融危機に向かう世界:副島隆彦>



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さてさて、随分と前置きが長くなってしまいましたが、国家破産とハイパーインフレについて考えていきたいと思います。
まず「国家破産」というのは、国の借金が返済できなくなる状態。これは会社も同じで、ようするにデフォルトというのは国家という企業が倒産することなのですね。国家には「国債」という膨大な借金があります。
国債=債券というのは一種の金融商品で、実は僕達一般人も購入できるのです。国が国債という債券を刷り、僕達がそれを100万円で購入したとしましょう。 5年間大事にその債券を握りしめておき、それから5年後、その債券を国に返すことで110万円をゲットできるという仕組みです。ようするに、5年間何もしないで10万円の利益(利息)がでたわけですね。

でも、冷静に考えると、これって国家が借金している状態ですよね。今100万円を貸して、5年後に本当に110万円になって返ってくる保証はどこにもありません。それでも国家だから安心(まさか日本政府が俺の100万円持って、そのまま夜逃げしたりしないだろう)ということなのでしょうか。
最近は「日本国債が暴落する」なんて噂が流布していますから、誰も個人向け国債を購入しようとはしません。挙句の果てに財務省は「国債を持てる男子は女子にモテる」なんて宣伝まで始めてしまいました。
それでも、実際に政府は国債をどんどん刷って、誰かがそれを購入しているわけです。その「誰か」というのは、実は僕達自身なのです。僕達一般人が国債を購入した経験なんて一度もないのに、何故、いつの間に買わされているのでしょうか。答えは銀行などの金融機関にあります。

僕達一般人は、銀行に何百万、何千万というお金を預けています。そして、銀行はその(僕達の)お金を使って、国債を購入しているわけです。ようするに、僕達のお金が銀行に勝手に使われて、国債という借金を背負わされていると言うことなのです。
だって、そうでもしないと、銀行自体に利益がでませんよね。銀行は、企業に利息付きで融資する以外にも、国債を購入して地道にコツコツと小銭を稼いでいる金融機関だったりします。そんなわけで、銀行の店舗自体には現金があまりありません。だから、銀行強盗してもあんまり意味がないのです。


今はまだ郵便局や銀行に国民の貯蓄がたくさんあるので、誰かが多少現金を引き出しても、銀行や郵便局が、その預貯金で買った国債をまとめて売る必要がないからです。
ですがもし、個人が一斉に金融資産を取り崩して消費を始めたらパニックです。預貯金の残高が急減して、銀行も郵便局も国債を買う余裕を失います。持っている国債も売らなければなりません。
…新しい国債が売れなくなれば、政府は満期の来た国債の払い戻しが出来なくなります。なぜなら現在、毎年支払期限の来る国債のために、新たに国債を発行してお金を工面しているからです。「期限の来た国債を払い戻せない」=「国家財政の破綻」です。<日本経済の真実:辛坊治郎>


国家は今どうしても100万円の現金が欲しい。だから「5年後に110万円にして返済するからこの国債を100万円で買ってくれ。」と言って、A銀行がそれを購入します。 それから5年後、国家はA銀行に110万円を返さなければなりませんが、実はお金に余裕がなく、返済するあてがなくなってしまっていたのです。
だから、国家はこう言いました。「5年後に220万円にして返済するから、200万円でこの国債を買ってくれ。」と。それで、国家は200万円の現金を手にしたことになります。新しく手に入れたこの200万円の中から、A銀行に110万円(前5年分)を返済するというのです。
ようするに、古い国債の借金を返済するために、新しい国債を売ってその場しのぎをしているわけだから、新しい国債が売れなくなれば倒産するのは当然と言えば当然なんですね。

そして「破綻する派」は、国家破産とハイパーインフレはセットでやってくると言います。ようするに、国が借金を帳消しにするために(現在アメリカが行っているように)紙幣をたくさん刷って、円をジャブジャブ溢れさせるというわけです。円の価値が低くなると、当然物価は上昇していきます。たとえば、つい最近ではジンバブエという国が2008年に年間230万倍のインフレを経験しました。こうして、人々はトランクに札束を詰めて、買い物へ行くようになります。今朝、牛丼が3000円だったものが、夜になったら30000円になっていた…、これがハイパーインフレの世界です。(※実は、日本も戦後に一度これを経験しています。)
しかし、今の日本で本当にこんなことが起こりえるのでしょうか。「破綻しない派」の論客は、これらの破滅願望に対して冷静に反論していきます。


【無理やり破綻させようとしても、逆に日本経済は復活してしまう】
国家破産のホラーストーリーを語る国家破産論者の最大の問題点は、「日本が変動相場制の国であること」を完全に忘れている点です。

… ということは、もし外国人が45兆円の円売りをしかけてきたら、テイラー=溝口介入の1.5倍の規模なので、だいたい30%くらい円安になることが予想できます。 2010念8月31日現在、1ドル83円前後です。これが30%円安になると、1ドル=110円前後の円安になります。
現在、日本の輸出産業は円高に苦しんでいるので、もし為替レートが一気に円安になれば、逆風が一気に追い風に変ることになります。海外での売上が、何もしなくても30%増加することになるからです。まさにいいこと尽くめです。
国家破産を煽りまくっている人たちの主張は、「国家が破産しそうだ。だから今すぐ増税しろ!」ということです。最後に「増税」という結論に導くための前提が「国家破産」という非常時なのです。前項でお話ししたように、日本人を洗脳して思考停止させるためには「非常時だから」というニュアンスを含んだ言葉が必要です。<日本は破産しない!:上念司>


それでも破綻とハイパーインフレが不安な人は「実物資産」に手を出すことになります。その代表格が「金地金」などの貴金属でしょう。ところで、金地金を購入するときには、身分証明(氏名&住所)が必要なことはご存知ですか。もちろん、税務署は金地金購入者をリストアップ、把握していることでしょう。国家は全てお見通しというやつです。そして国家破産、ハイパーインフレなんていう非常時になれば、金地金も国家に没収されかねません。「金地金+没収」でキーワード検索してみるとよいでしょう。
そんなわけで「生き残るため」の最終手段は、日本という国を捨てて、比較的安全な、のんびりした国へ移住することが一番だという結論に至ります。うーん、英語力って大切ですねえ…。

 
posted by もときち at 20:26 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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