2010年11月23日

1968

1968年は、世界史を画する歴史的ターニングポイントであると言われ、パリにおいては「五月革命」と呼ばれる民衆の反体制運動が勃発し、世界的学生動乱の拡大に大きな影響を与えた。この時期には、フーコー、ドゥルーズ、デリダといった、そうそうたる顔ぶれの思想家達が登場し、それぞれが後に代表作となる著書を上梓している。ビートルズの人気絶頂期もちょうどこの頃。日本ではそれから2年後に、三島由紀夫が割腹自殺をした。

1968年、それは「マルクス」が神のごとき色彩を放っていた時代でもあった。地球上で次々に市場を拡大していこうという資本主義に抵抗する若者たち、それが60年代のマルクス主義である。現在、団塊の世代と呼ばれる大人達がまだ学生であった頃のことだ。
大学における全共闘運動、ベトナム反戦運動といった過激なデモ。さらに70年代になっても「よど号ハイジャック事件」や「浅間山荘事件」など、マルクス原理主義の若者達による暴動は幾度にわたって発生した。ある一つの宗教や思想、物の考え方を100%信じる人間のことを「原理主義者」と呼ぶ。イスラム原理主義などと、その呼び名を聞いたことはあるだろう。原理主義は、自分達の信奉する思想を100%正しいと信じて疑わないため、時として「聖戦」などと称して、無実の一般人を巻き込むテロを仕掛けたりする。たとえば「よど号ハイジャック事件」も、赤軍派と呼ばれる原理主義者たちが引き起こしたものである。
現在では信じられないような話だが、当時は旧ソ連や北朝鮮といった社会主義の国に憧れる日本の若者達が後を絶たなかった。社会主義というのは資本主義の対極に位置するシステムであり、日本の若者達は、日本にも社会主義が定着すれば、誰もが豊かになり、貧富の差がない平等な世界が実現するのだと100%思い込み、それらが60年代後半の過激なデモに発展していったわけだが、その中でも象徴的だったのが1970年3月に起きた「よど号ハイジャック事件」なのだ。
赤軍派のメンバーが羽田発の日本航空「よど号」をハイジャックして北朝鮮へと亡命したのである。彼らは北朝鮮に行けば、そこには理想の社会があるのだろうと信じて疑わなかったゆえ、無実の一般人を巻き込んだ…、原理主義のやり方である。もちろん、彼らの夢はやがて崩壊する。

近代史において、自由主義は全体主義と共産主義を相手に闘争を続けてきたが、第二次世界大戦で全体主義が敗北し、 90年代に至っては旧ソ連の崩壊で共産主義が敗北した現在、歴史は自由主義の勝利を持って終わったのである。
冷戦に勝ち抜いたアメリカ側が自由主義の「勝利宣言」をしたこの時点で、1968年の思想は完全に残滓となり、全共闘運動も、それに関わった若者たちも、人々の記憶から忘れられていった。

―1968年は、歴史という「大きな物語」が存在した、最後の時代であった。
マルクス主義という言葉が生きていた時代。哲学という学問がまだ有効であった時代。しかし、歴史は行き詰まり、現在は「ポスト・モダン」と呼ばれる時代へと突入したわけだ。
ジャン=フランソワ・リオタールは、進歩の先には必ず幸福があると信じていた、そんな「大きな物語」は終わったのだと 『ポスト・モダンの条件』 のなかで語っている。だからこそ「1968」はかくも魅力的な数字として、大きな物語を知らずに生まれた僕の心をとらえて放さない。


Just lying in a bar with my drip feed on
talking to my girlfriend waiting for something to happen
I wish it was the sixties
I wish I could be happy
I wish, I wish, I wish that something would happen.

<Radiohead : The Bends>


posted by もときち at 12:53 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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