2010年11月20日

マルクス入門


資本論 1 (岩波文庫 白 125-1) [文庫] / マルクス (著); エンゲルス (編さん); 向坂 逸郎 (翻訳); 岩波書店 (刊)一昔前までマルクスの『資本論』は、アダム・スミスの『国富論』とともに、経済学部生の必読書だったらしいが、今ではマルクスを原典で読む学生はほとんど消滅してしまったという。だから、かつては常識であったマルクス経済学のイロハを知らない学生が増えているらしい。僕自身も『資本論』を通読したことはなくて、拾い読み程度しかしたことがないんだけど。 (同様に『失われた時を求めて』も通読は不可能である…。)
不景気、経済の不安が囁かれ始めると、決まってマルクスやケインズといった経済学の古典が注目されるようになる。


商品はまず第一に外的対象である。すなわち、その属性によって人間の何らかの種類の欲望を充足させる一つのものである。これらの欲望の性質は、それが例えば胃の腑から出てこようと想像によるものであろうと、ことの本質を少しも変化させない。ここではまた、事物が、直接に生活手段として、すなわち、享受の対象としてであれ、あるいは迂回をへて生産手段としてであれ、いかに人間の欲望を充足させるかも、問題となるのではない。<資本論:マルクス:向坂逸郎訳>


「資本論」は序盤からこんな感じである。マルクスの著作は、小難しい表記が多く、これらを把握していないと、最初のうちは読み進めていっても意味がわからないのだけれど、実は慣れてしまうとあまり苦にならない。抜粋した文章内の「商品」というキーワードも、マルクスの著作を読み進めていくうえで、最も重要なキーワードのひとつである。
それが書物であれ絵画であれ、「モノ」が商品として売買されるのは、それになんらかの「価値」があるからである。そして、その商品の価値は、その商品が生産されるためにつぎ込まれた「人間の労働量」により決まる。多くの人間が、多くの時間を費やし生産された商品は、それだけ価値が高いし、一方で、少ない人数で簡単に、少しの時間さえあれば生産できてしまうような商品は価値が低い。

さて、商品が生産されると次に「交換」が始まる。 A君は自分の畑で「野菜」という商品を生産し、B君は狩りによって「肉」という商品を調達してきた。 A君がB君の商品を欲し、B君がA君の商品を欲した場合、そこに「野菜」と「肉」の物々交換が生まれるわけだ。そして、ある時点でA君が野菜を栽培するまでに費やした労働量、B君が狩をして肉を調達するまでに費やした労働量それぞれを、数値に置き換えることにした。それが「価格」であり、同時に「貨幣」が生まれたのである。

貨幣の発生は必然的なものだった。 たとえば、B君は自分の持っている商品を何か別の商品と交換しようと思っていた。もちろん、自分の欲しいものである。だから、B君は自分の持っている「肉」と見合うだけの使用価値がある商品でなければ満足がいかなかったわけだ。ここでA君が自分の「野菜」とB君の「肉」を交換してくれないかと申し出るわけだが、B君はそれに応じない。何しろこの「肉」は、命の危険をおかして、やっと手に入れた貴重な商品なのだ。畑でぬくぬくと生産されている「野菜」なんかと釣り合うわけがない。こうなると、2人は「自分の商品を別のものに交換したい」と思っているにも関わらず、意見が一致せず交換は永遠に成立しない。
物々交換にはこのような弱点があり、だから「商品」と「商品」の間には「貨幣」が入らなければならなかった。すなわち、貨幣とは交換=商品流通の手助けをする存在なのだ。このことから、貨幣にはまるで全ての商品の価値を計れる絶対的なものとして認識されるようになった。マルクスはこれを貨幣の「物神的性格」などと呼んだ。

交換経済がもう少し発展すると、商売が生まれてくる。商売の基本は「利益を生み出すこと」である。 100円の材料を使い生産された商品には、確かに100円分の価値があるのだが、その商品はなにも材料のみで自然発生したわけではない。それを生産するための労働力なども加算し、120円の価格で販売しなければ「利益」は出てこないのだ。この商品120円から材料100円を引いた20円分の価値を、マルクスは「剰余価値」などと呼んだ。剰余価値は商品を生産する過程でのみ発生する価値なのである。

ここで「資本家」と「労働者」という2種類のタイプが生まれてくる。資本家とは、まあ簡単にいってしまえば会社の社長であり、労働者とは社員である。
あるとき資本家タイプのB君は、もっと多くの「肉」を生産するために、たくさんの人間を集めて狩猟団を結成した。大勢で徒党を組んで狩りをすれば、命を落とす危険性も低まるし、より多くの獲物をゲットできると考えたからだ。もちろん狩猟団のリーダーはB君であり、彼は狩猟で獲得した「肉」を村の人々の販売し、多くの貨幣を手に入れた。そしてB君は狩猟団のメンバー全員に、取り分として少しずつ貨幣を分け与えた。そう、B君こそが「資本家」であり、狩猟団のメンバーこそが「労働者」である。
だが、しばらくするとB君の狩猟団に予期せぬ事態が起こる。隣の村から新しくC君という資本家がやってきて、B君よりも安く「肉」を販売し始めたのだ。いわゆるライバル企業の登場である。 C君が、なぜB君よりも安く「肉」を販売できるかというと、彼は狩猟なんていう原始的なことをやめて、牧場で牛や豚などの食用肉を大量生産していたからだ。しかも、狩猟団のようにたくさんのメンバー(社員)を募ることはない、牧場を管理する数人程度の労働者を雇えば事は足りてしまうのである。
B君は焦って、自分も牧場経営型の食肉販売を始めることにした。そして、ここで初めて「リストラ」という行為が行われる。今まで何十人もの狩猟団メンバーを雇ってきたわけだが、牧場管理にはそんな多くの労働者は不要なのだ。

このように、ライバル企業に差をつけて、自分の会社だけもっともっと多く利益を出そうとする行為は、必然的に「失業」へと繋がっていくのである。経済が発展すると新しい技術・機械が発明され、「肉」や「野菜」に限らず、あらゆる商品の生産活動が自動化=機械化されていく。今まで手作業で生産していた商品。それをもっと安価な労働力で大量に生産するためには機械の導入が必要だ。資本家は「機械」を雇い、人間という労働者の職を失くしていくのである。そう、労働者の最大の敵は「技術の進歩」なのだ。
技術の進歩により失業者が増えるということ、それは「貨幣」を持っている人間の総量が減少することを意味する。つまり、資本家は自らの商品を売りたいがために生産の機械化をし(失業者を増やし)、自らの商品を購入してくれる世の中の消費者も同時に減らしてしまっている。
どうやら、資本主義は必然的に「破滅」へと向かうように決定付けられているかのようである。 元々は、利益を追求するためにしていた行為=技術の進歩が、この世界ではまったく逆効果に働いてしまっている。
マルクスはそこに「資本主義の矛盾」があるといった。

posted by もときち at 10:47 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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