2010年03月22日

流行のニーチェ

 
道徳の系譜 (岩波文庫) [文庫] / ニーチェ (著); Friedrich Nietzsche (原著); 木場 深定 (翻訳); 岩波書店 (刊)書店で『超訳 ニーチェの言葉』という本がベストセラーになっているようです。僕は本書を読んでいないのでなんとも言えませんが、確かにニーチェ独特のアフォリズムって、カッコよくて、我々を惹きつけるものがあります。(アフォリズムというのは「箴言」とか訳されていて、短い文章の中に鋭い指摘を含んだような表現のことをいいます。)
ニーチェの著書で広く読まれているのは「道徳の系譜」ですね。人間の「良さ」とは何か?いや、そもそも「良い」人間とは、どういうものなのか。「良い」人生とはどういうものなのか。「良い」行いとはどういうものなのか。本書にはニーチェの「善悪」についての考え方が記されています。


「良い」という判断は、「良いこと」を示される人々の側から生じるものではないのだ!却って「良い」のは「良い人間」自身であった。換言すれば、高貴な人々、強力な人々、高位な人々、高邁な人々が、自分たち自身、および自分達の行為を「良い」と感じ、つまり第一級のものと決めて、これをすべての低級なもの、卑しいもの、賤民的なものに対置したのだ。<道徳の系譜:ニーチェ>


そもそも「良い」という言葉は利己的な判断であったのです。力が強い、身分が高い、権力があるといった「強者」が自身に対して使う言葉だった。しかし、それを弱者の立場であったユダヤ人が、高貴なローマ人に復讐するために価値転倒を行ってしまい、今では「自らをかえりみず、他人のために何かしてあげること」が「良いこと」になってしまったというわけです。
これをニーチェは、弱者であるユダヤ人達が、現実の権力を持つ貴族階級、ローマ人に対する卑屈な恨み=ルサンチマンによるものだと言います。たとえばキリスト教は「貧しい者こそ幸いである」と説きますが、これは富や権力などを目指す人生よりも、もっと人間として大事な生き方があるだろうということを言っているのです。しかし、実際には全ての人間が貧富の差がなく、むしろ裕福であった方が良いですよね。キリスト教はこの価値観を大胆に転換してしまった。なぜ、このような価値転換が起こるのかというと、弱者の価値は、常に強者の価値の反動として生じるからなのです。

あのユダヤ人達こそは、おそるべき整合性を持って貴族的価値方程式に対する転倒を敢行し、最も深刻な憎悪の歯軋りをしながら、この転倒を固持したのだ。曰く「惨めなるものが善き者である。貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者である。悩める者、乏しき者、病める者、醜き者こそ唯一の敬虔なる者であり、唯一の神に幸いなる者であって、彼らのためにのみ幸福はある。」 …諸君は誰がこのユダヤ人的価値転倒の遺産を作ったのか知っている。<同>


ユダヤ人に対する攻撃的な言辞という意味で、ニーチェをナチズムと結び付けて考える人も多くいますね。たとえば、ヒトラーはニーチェ哲学の実践者であるとも言われているのです。たしかに、ニーチェの著作にはヒトラーと正反対の思想傾向も見受けられますが、それでも、彼が「ヒトラー的なもの」から完全に逃れている崇高な哲学者だという見解には無理があるでしょう。

posted by もときち at 11:52 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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