2009年12月10日

哲学のすすめ

 
必読書150 [単行本] / 柄谷 行人, 岡崎 乾二郎, 島田 雅彦, 渡部 直己, 浅田 彰, 奥泉 光, スガ 秀実 (著); 太田出版 (刊)
大学時代、学校の授業があまりにもつまらないので、講義をさぼって家で読書ばかりしていたのですが、当時の僕は、毎月「群像」やら「文學界」やら文藝誌を欠かさず読んでいた、いわゆる「文学おたく」でして、あの頃は(自分で言うのもなんだけど)一番頭に脂がのっていた時期だったと思います。

僕の「OS」は、そのほとんどが大学時代の読書習慣により構築されたようなもので、そういう意味で、つまらない講義を提供してくれた大学の講師には感謝しなくてはいけないのかもしれませんね。


どこかの本に書かれていたのですが「OS」という表現は言い得て妙です。ものすごいプログラミング技術を持ってるのに、なんだか要領の悪い人とか、悪くいえば「お勉強はできるけど頭が悪い」とか「一流大学を出ているのに仕事が出来ない」といった人達がいますね。
彼らが体現しているのは、我々が学校で習う数学や英語、あるいはプログラミングの技術といったものは、結局のところ「アプリケーションソフト」に過ぎないということです。どんなに技術を高めたところで、OSがなければアプリケーションは起動しませんよね。小手先の技術ばかりが研磨されていても、肝心の「ものの考え方」が育まれていないと本質を捉えることはできないということです。何か物事を解決しようとするのなら、あるいは何か新しい作品を創作しようというのなら、そのバックボーンとなる「ものの考え方」を身につけていなくてはいけない。それがOSです。

さてさて、僕のバックボーンはほとんどが西洋哲学と西洋文学です。現在の僕では読めるかどうか自信がありませんが、一時はアンチ・オイディプスや千のプラトーなんかも熱心に読んでいたくらいの哲学かぶれで、哲学・文学の水先案内人といえば(当時は)文壇で活躍していた柄谷行人や浅田彰、福田和也といった批評家でした。
なぜこんな話をするかというと、イギリスに留学している僕の弟のことです。最近弟も文学や哲学に興味を持ったようで、彼がイギリスへ旅立つ前に、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を持たせてあげたのですが、案の定“ハマった”らしい。ところが哲学となると、いったいどこからどう手をつけていいのか分からずにいる。可哀想に、彼は新潮文庫から出ている「まんがで読破シリーズ:マルクスの資本論(笑)」から始めてしまったというのです。

僕も学生時代は哲学という難解なジャンルにどうコミットしていったらいいのか悩んでいましたが、そんな時は良いガイド、すなわち「評論家」に出会うことが一番手っ取り早いんですね。一人のお気に入り作家を探すよりも、一人の信頼できる批評家、自分と嗜好の似た評論家を探した方がいいということです。
そんなわけで、この「必読書150」は、柄谷行人、浅田彰など著名な評論家が集結しているので、僕も学生時代に随分とお世話になりました。
カント、ヘーゲル、ハイデガー、最近のものではフーコー、ドゥルーズ、ラカンと容赦ない名前が連なりますが、自分のOSをバージョンアップさせたい方には必読な古典がラインナップされています。

われわれは今、教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうために「教養」がいるのだ。カントもマルクスもフロイトも読んでいないで、何ができるというのか。わかりきった話である。われわれはサルにもわかる本を出すことはしない。単に、このリストにある程度の本を読んでいないような者はサルである、というだけである。<柄谷行人:本書より>

posted by もときち at 09:34 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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