2009年10月30日

グローバル化の条件

商品流通が資本の出発点である。商品生産と発達した商品流通である商業とが、資本の成立する歴史的前提をなす。世界商業と世界市場が、16世紀に近代的生活史をひらく。<資本論:マルクス、エンゲルス編>

 
グローバル化は現在に始まったことではなく、おそらく16世紀にヨーロッパとアメリカ、アジアを繋ぐ「大航海時代」に成立したものでしょう。しかし、現代のグローバル経済においては、もはやヨーロッパという地域で生産したものをアジアという別の地域で売るというのではなく、積極的に価値体系の差異を作りだしていかなければ、国際的競争には勝てなくなってしまうという構図があります。
 
たとえば、アメリカのIT先進企業は、その業務の大半をインドに委託しています。アメリカとインドでは時差がありますから、アメリカ側で退社時に依頼したデータ作成などの業務は、日中インド受託側で片付けられ、翌日アメリカ側が出社する頃には完成しています。
問題はそれだけでなく、労働賃金によるところも大きいでしょう。いつの時代も、企業はより安価な労働力を欲しています。同じ単純作業であれば、高い報酬を要求する国内の人間より、低賃金労働を厭わない外国人労働者のほうが雇う側である企業にとっても都合がいい。それが、アメリカにとってのインドでした。“価値体系の差異”は、このように意図的に作られていきます。
 
アメリカ、インド、もちろん日本も。各国の境目(国境)がなくなり、それぞれの国が密接にリンクしながら、同じ土俵で競争をしていかなくてはならない、それがグローバル化社会です。
グローバル化は日本にとっても必至で、遅かれ早かれ、日本企業はより安価な人件費を求めて海外へ流出していくし(ユニクロのように)現に流出しています。さらにこれから10年後においては、地方のどのような中小企業でさえ、海外との取引なしには生き残っていけないと言われています。地方の観光地においては、今や外国人観光客なしにはやっていけないような状況ですらあり、観光業務に携わる日本人には、それ相応の語学力が求められているのです。
グローバリゼーション。日本と諸外国の国境が消滅していくということは、我々日本人は英語を公用語として操っている諸外国人と競争しなくてはならないというです。先ほど例に挙げたインド人はもちろん、欧米からあらゆる業務委託の注文を受けている諸外国の人達は、例外なく英語のコミュニケーションができ、そのうえ人件費が安い。さて、英語が出来ないうえに、最低賃金をもっともっと上げろと喚いてばかりいる日本人と比べ、企業にとってどちらが“都合のよい”人材でしょうか。
 
ヨーロッパでも、香港でも、シンガポールでも、もちろんインドでも、英語は日常的に流通しています。というか、そもそも英語が出来ない人はそれらの国では就職できません。「これからの50年は中国の時代だ、だから英語よりも中国語が重要だ。だから中国語の勉強を先にするべきだ。」というのは大きな間違いで、世界共通語はこれからも「英語」であり続けるのであって、やはり個人にとってが「英語」が出来ることがグローバル化対応の最低条件と言えます。
IT・インターネットの普及により、電話線が一本あり、英語さえ出来れば、たとえ個人であっても世界を相手にビジネスが出来るようになりました。これから、日本人は否応なしに外国人との競争を強いられるようになるでしょう。英語が話せないというだけで、私たち日本人は始めから大きなハンディを背負っているのです。
 
 
posted by もときち at 09:17 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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