2009年10月06日

他人を評価すること

自分が考えている自己評価と会社から与えられている給与・ポストが一致しない。自分はこんなに働いているのにたったこれだけ。あいつはろくに仕事もしていないのに俺よりたくさんもらっている。なんであんなヤツが俺の上司なんだ、絶対に俺の方が優秀なはずなのに!
 
こういった不満と葛藤を日々募らせ、我慢しながら働いている人はたくさんいる。閉塞した現代社会において、ほとんどのビジネスパーソンは給与を(あるいは会社内での役職を)自分の全人格に対する評価のように受け取ってしまう。
この春の人事異動で課長に昇格するはずだ…と、密かに期待をしていたが、その期待は裏切られ、自分ではない他の誰かが課長に昇格してしまった時には、きっとショックを受けるだろう。そして、ある者は会社に忠誠を誓い、ある者は自分を認めてくれない会社に対して不満を募らせていく。自分の実力を認めてくれない会社に対して、彼らはこう言い聞かせるだろう。「自分の能力はまだまだこんなもんじゃない。アンタ達は俺の能力の表面しか見えていない。まわりの連中は気付かないが、俺にはもっともっとすごい才能があり、それに気付かない連中は精神的に浅いだけなんだ。」
 
しかし、上記のような“不満”は、彼ひとりだけが常日頃感じているような不満ではなく、多くの社会人が(口に出さないだけで)同様に感じているものだということを忘れてはいけない。彼はまるで“自分だけがこんな酷い仕打ちを受けている、自分だけが不当に低い評価を受けている”と錯覚しているが、決してそんなことはないのだ。彼と同じように「自分の本当の能力に気付いてくれない世間」に対して憤慨しているサラリーマンは数え切れないほどいるということ。なぜ私ほどの素晴らしい人間が皿洗いなどをしなければならないのか、なぜ私ほどの優れた人間がそれに見合うだけの尊敬を受けることが出来ないのか。正常な大人なら誰しも他者から受ける評価に対しては不当に感じているだろう。
だから、我々は他者から受ける評価の低さを補正するために“まわりの連中には触れることのできない精神の深さ”を強調する。「私のこの深い才能の源泉は、あなた達には決して触れることが出来ない」と。
いやいや、実際に彼はものすごい才能の持ち主であり、おっしゃる通り彼の真の実力に気付かない会社のほうがマヌケなのかもしれない。しかし、残念ながら世間はいわゆる“才能”であるとか“精神の深さ”などというものには1円の価値も認めないだろう。その才能が確固とした“かたち”になって目の前に提示されるまでは…。
 
給与は従業員の“仕事ぶり”を査定して、それらは具体的な数値となって、それぞれに支給されるものである。しかし、その数値を決めるのが結局のところ“人間”である以上、彼の真の実力にジャストフィットした給与など査定できるはずはない。当たり前の話だが、人が人を評価することは厳密には不可能である。にもかかわらず、会社という組織は人が人を評価せずには成立しえない宿命を背負っている。
人間とは社会的な存在であり、我々は社会の中で自分を位置付けられることによって、はじめて自分を実感できるものだ。それはつまり、社会の中にあって自分と他者との間にある差異が明確化されるということである。そして、我々は他者から受ける評価には常に敏感になるものだが、それはあなた一人ではない…ということを忘れてはいけない。あなたを評価をしている彼自身(社長や上司)でさえも、世間から受ける評価に対して、常に不当に感じているものなのだ。その都度、彼らもこう言い聞かせている。「マヌケな世間は、我が社の真の実力に気付いていないだけ」
 
 
※ 自分の「才能」を褒められて嬉しくない男性は存在しない。世の中のほとんどの男性には「俺は才能があり、そこらへんのボンクラよりも優れた存在だ」という自負があるからだ。しかし、世間はまったくそのことに気付きやしない。なぜ俺ほどの才能を持った人間が、それに見合うだけの尊敬を受けることが出来ないのか!…と、彼らは常にフラストレーションを抱えている(笑)
そんなわけで、女性が意中の男性をコロッと落とす方法は「鈴木君ってすごい才能あるよね、普通の人じゃこんなこと出来ないと思う。」という一言につきる。
 
 
posted by もときち at 20:53 | BUSINESS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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