2009年06月28日

知られざる功績

何年か前に年金記録問題というのがあって、その事件で多くの人が社会保険庁に対して強い不信感を持つようになった。当該事件の一番大きな問題は、年金記録のシステム変更における職員の入力ミスと言われている。
はるか昔(?) 厚生年金は紙媒体の手作業によって加入者の積立てを管理していたのだが、何十年か前にそのデータをオンラインのコンピュータシステムに移し替える際、入力担当者が「入力し忘れた」というもので、それが最近になって発覚したということである。
現在の年金担当者からすれば「なんで俺が当時の担当者の尻拭いをしなきゃいけないんだよ。悪いのは入力ミスしたヤツであり、俺に責任を取れと言うのは筋違いじゃないか」と叫びたくもなるが、しかし、企業が不祥事を起こしたとき「それはうちの社員がやったことで、社長である私は無関係です」といった弁解が効果を持たないように、やはりこれは、社会保険庁全体の責任ということになってしまうのである。
 
企業の不祥事にしろ何にしろ「それは私の責任ではない」という類の言葉がよく聞かれるようになった。
90年代から推進された企業の業務効率化、成果主義やら実力主義という「利益を生み出すことこそ至上目的」としたビジネスの風潮なのかもしれない。
成果主義や実力主義は「格差がやる気を生む」という思想に基づいている。しかし、職場で成果主義を採用すると、社員は「自分の評価を高めなければならない」という強いプレッシャーに支配され、自分の業績アップに寄与しない仕事をその視界から排除し、社内で何か問題が起きたら「自分には関係ない」という無関心の態度を持つようになるのである。
会社の玄関口が汚れている、だからといって私が自主的に掃除をしたところで昇給には繋がらない。同僚が仕事のことで困っている、だからといって私が彼を助けたところで出世には繋がらない。私に利益をもたらさない一切の仕事は、私には関係ないのだから行う必要がない。それが成果主義の鉄則なのだから。
 
今ここに、1人の社員が会社のコンピュータシステムにおける重大な欠陥を発見した。これを放っておいたら、何十年か後になって大問題に発展することは間違いない。
しかし、そのとき彼を不意に襲ったのは「この問題を人知れず俺が処理したところで、いったい誰が俺を評価してくれるというのか、いったい誰が俺に感謝してくれるのか」という気分であった。もしもこの場に社長でも居合わせたなら「これ、俺がやっておきます!」と気持ちよく立候補できるものだが、あいにくこの問題を発見してしまったのは俺1人だけで、他は誰も知らない。俺にとって、この問題は片付けるだけの価値があるのだろうか―?
ここで彼が、未来の会社のためを思って問題を処理すれば、それこそ問題は未然に防がれてしまい、第三者が彼の功績を知る機会は永久に訪れない。仮にこれを経営者に自主申告しようものなら「自分の功績を売り込む器の小ささ」を指摘されかねないし、結局のところ彼は八方塞がりである。もちろんこれは極端な話だけれど、彼の言う誰も評価してくれない仕事とは、成果主義・実力主義といった社内競争型のシステムが、その価値を排除してしまった「知られざる功績」なのだ。
 
自分ひとりの能力で、どのような業務においてもそれなりの結果が出せる人にとっては、成果主義・実力主義というものは歓迎すべきシステムなのかもしれない。しかし、このようなシステムは、会社内部において様々な問題を生み出すことを忘れてはならない。成果主義を採用する職場で、自分がもっとも評価される究極の方法は「社内のライバルに損失を与えること」である。だから、お互いが協力しなくても「自分が結果を出していれば良い」という社員が、最も高い評価を享受するようになってしまうのだ。
また、よく言われる「技術のブラックボックス化」も、こういった社内競争型のシステムが生み出した産物である。技術のブラックボックス化とは、会社にとって重要な情報資産を自分ひとりで抱え込み、いざ彼が退職しようものなら、誰も彼の業務を引き継げないような事態のことを言う。彼は自分の地位を守るために秘密主義を徹底し、それ以下の人材は全く育たないという土壌がそこに生まれるのである。
 
現代人は口を揃えて「忙しい、忙しい」というけれど、それは職場における自分の評価を高めることに忙しいのであって、彼らは「俺は誰にも迷惑をかけないから、お前らも俺に迷惑をかけるなよ。」と、ご丁寧に宣言されているのだ。
 
 
posted by もときち at 00:20 | BUSINESS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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