2009年06月19日

病的な精神を育むドストエフスキー

 
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫) [文庫] / ドストエフスキー (著); 原 卓也 (翻訳); 新潮社 (刊)初めてドストエフスキーの小説に出会ったのは、たしか僕が17歳の時だ。
ある文芸評論家が「ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟こそ、近代文学の最高傑作だ」みたいなことを言っていて、「そこまで言うのだから…」という気持ちで読み始めたのだけれど、第一編の「ある家族の歴史:三男アリョーシャ」まで読んだ時点で、僕はこの作家の虜になってしまった。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは疑いの余地なく、ロシア文学が生み出した天才の1人である。様々な評価もあるけれど、彼の小説の魅力はそこに描かれた個性的な人物像にあると言ってもいいだろう。

 
ミハイル・バフチンは、ドストエフスキーの小説をもって登場人物がそれぞれ独立した思想(声)をもち、それらの主張は互いに溶け合うことなく壮大な多声楽(ポリフォニー)を奏でているようだと論じたが、そのポリフォニックな要素が最も如実に再現されているのは「カラマーゾフの兄弟」で、ドミートリィ、イワン、アリョーシャといった兄弟間の交錯が、神秘的で滑稽な火花を散らすその様は、まるで壮大なクラシック音楽を聴いているかのようだ。「カラマーゾフの兄弟」発表から100年以上を経た今、ようやく現代が彼の小説に追いついた感すらある。
 
「カラマーゾフの兄弟」でなにかと話題になるのは「大審問官」の章だけれど、僕が個人的に好きなのは手前の「反逆」の章だ。「反逆」は二男のイワンが弟のアリョーシャに 「なぜ世の中はこんなにも苦しみが溢れているのか」といった独自の思想を披露する、作中で最も迫力溢れるエピソードでもある。
 
なあ、アリョーシャ。俺は見てみたいんだよ。
やがて鹿がライオンのわきにねそべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見てみたいんだよ。どうして世界はこんなことになってしまったのか―。
…全ての人間が苦しまなくてはいけないとしても、子供たちにいったい何の関係があるっていうんだ。罪の連帯性なんて子供にあるものか。もし、子供も父親のあらゆる悪行に対して父親と連帯責任があると言うのなら、そんなものを俺は認めないね。<カラマーゾフの兄弟:ドストエフスキー>

 
ドストエフスキーは「人間」を描いた。
血の固まり、憎悪の固まり。人間は醜く、救いようがない。殺人、泥棒、レイプ、幼児虐待、自分を認めない世間に対して呪詛の言葉を吐き続ける引きこもりの青年。自己の犯罪性を文学作品として表現してしまった作家、それがフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーである。そして「カラマーゾフの兄弟」は20世紀のあらゆる作家、思想家に絶大な影響を与え、今なお読まれ続けている近代文学の最高傑作だ。そして、これは大人向けの文学作品ではなく、若者向けのエンターテインメントだということを強調しておこう。「カラマーゾフの兄弟」は、10代の若者こそ読むべき作品である。
 
 
posted by もときち at 23:22 | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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