2009年06月15日

瞬間の囚人たち

先日テレビで「秋葉原通り魔事件」が取り上げられていた。事件から1年ほど経過したということである。
そのテレビ番組のなかで良識ある人が「このような事件を忘れてはならない、風化させてはならない」と訴えていたが、もうひとつの方法論として、このような事件を抑制するためには、マスメディアがむやみやたらに騒ぎ立てない(風化させる)ことも選択肢の一つである。
 
何年か前に、このような凶悪犯罪は何故起こるのか?といった公開議論がされるなか、ある若者が何気なく「どうして人を殺してはいけないんですか」という言葉を発し、そこに居合わせた大人たちが、その問いに対してうまく返答できなかったことが話題とされた。
 
なぜ人を殺してはいけないのだろう。
哲学者のフリードリヒ・ニーチェなら、あるいはこう答えるかもしれない。「人は殺してもよいものだ」と。もし君が世の中にうんざりしていて、人生においてどうしても生きる喜びを感じることが出来なかったとき、君が人を殺すことによって、人生におけるただ1つの喜びを感じることが出来るというのなら、あるいはニーチェならそれを推奨するだろう。
だが、彼にはひとつだけ言っておかねばならないことがある。君は殺人を犯すことによって、自分が重罰を受ける覚悟が出来ているのか?と。
確かに人を殺すことで、君の「イライラ」はすっきりするだろうし、もしかしたら君は快感を得ることが出来るかもしれない。でも、その快感はほんの一瞬しか続かない。君がその一瞬を終えた後、それから10年…、20年…、あるいは死に至るまで、君の自由は奪い取られ、君は長期的に苦痛を強いられることになるだろう。君は本当にそれを引き受ける覚悟が出来ているのか。
僕達が生きているのはこの瞬間という現在だけではない。僕達は過去にも生き、そして未来にも同時に生きている。「今が幸福なら明日なんていらない」なんて、流行のJ−POPに出てきそうな歌詞だけれど、秋葉原でナイフを振り回した若者も、あるいはオンラインゲームに人生を捧げる子供達も、いまこの瞬間の快感だけを求めて、あまりにも「割に合わない未来」を引き受けてしまっているのだ。
 
60年の生涯の中で、死刑宣告を受け、処刑台に立たされた経験すらあるロシアの作家。彼の名はフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。銃殺刑執行直前に、彼の脳裏に浮かんできた後悔は「白痴」という小説の中で如実に記載されている。
 
もし死なないとしたらどうだろう!もし命を取りとめたらどうだろう!それはなんという無限だろう!しかも、その無限の時間がすっかり自分のものになるんだ!そうなったら、おれは一分一分をまる百年のように大事にして、その一分一分をいちいち計算して、もう何ひとつ失わないようにする。いや、どんな物だって無駄に費やしやしないだろうに!
…男の言うには、この想念がしまいには激しい憤懣の情に変って、もう一刻も早く銃殺してもらいたい気持ちになったそうだ。<白痴:ドストエフスキー:木村浩訳>

 
僕達はある程度まで大人になると「いつか自分は死ぬ」ということを考えるようになる。そして迫り来る「死」だけが、すべての人間にとって回避不可能な最終的に行き着く果てなのだ。だから、人はあらゆる方法を用いて「死」から逃れようとする。自分が死んでも、自分の子供が生きていけば、自分は存続していける。自分が死んでも、自分の書き記した著書が残れば、自分は存続していける。あるいは…。
 
2008年6月8日、東京・秋葉原でひとりの若者が、所持していたナイフで通行人を立て続けに殺傷していった。それは稀にみる凶悪犯罪、悲惨な殺人事件としてマスメディアが全国に向けて一斉報道し、視聴者の日常的な時間の流れを断ち切った。
この事件について、メディアは「若者の心の闇」だとか「現代社会の病理」といった特集をし、関係者を含め日本中が「この殺人事件は何を意味しているのか」と自らに問うた。しかし、そのように「ワイドショーの独占」をすることこそ彼の狙いであったし、まったくマスメディアは彼の目論見通りに動かされたのである。そして、テレビ番組が犯罪に過剰な意味づけを行なうことで、彼は人々に記憶され、彼の目的(自己の存続)は達成されたことになる。
残念なことに、このような事件は未然に防ぐことが出来ないし、これからも起こる確率は十分にある。そして新しい事件が起こった際には、僕達は「前例」として秋葉原通り魔事件を思い出すだろう。秋葉原通り魔事件の発生直後に「酒鬼薔薇聖斗」などを思い出したように。
 
「このような事件を忘れてはならない」と、誰かが言った。彼の言う通り、1年の時を経てテレビ番組で特集されるまでは、多くの人があの事件のことを忘れていたはずだ。
しかし、そのように「事件を何度も繰り返し思い出させる」ことが犯罪者の願望であるなら、この病的な社会構造を問いたださない限り、いわゆる「若者の心の闇」などといったものは永久に解明されないままである。
 
 
posted by もときち at 13:03 | THINKING | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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