2009年06月04日

給与という負債

ビジネスは経営者と社員の交換関係によって成り立っています。経営者に与えられた使命は「会社に利益を生みだすこと」です。利益は差異性によってのみ発生するもので、そのような差異性を生み出す源泉として経営者は労働者を雇う必要があります。ですから、ある意味で社員は自分の「労働力」を会社に売っているのであり、その交換報酬として給料を受け取っていると言えます。( ※ 経営者と資本家とでは種類が違いますが、ここでは「経営者=資本家」として話を進めていきます。)
さて、労働者のなかには「管理職」という特別な地位を持った者も存在します。管理職は自分の部下達を評価する立場にあり、以前は彼らも「評価される側」に立っていた肩書きのない労働者でした。そして、労働者の管理・育成という業務こそ共通すれど、経営者と管理職は似て非なるものです。
 
経営者と管理職の違いは何か。それは“自分以下の社員に与えるものがあるか、ないか”の違いと言ってよいでしょう。ビジネスは経営者と労働者との交換関係で成り立っていると書きましたが、経営者は会社の財産を自分の所有物と考えており、その中から必要な分だけを社員に「給与」している者です。この場合、管理職も経営者側から給付を受けている「労働者側」の立場であることがわかるでしょう。
雇われている社員は、給料を受け取ったら「労働」でお返ししなくてはいけないのですが、彼らは受け取った給料分だけピッタリと経営者に「返礼」できるわけではありません。不可分なく行う交換を「等価交換」といいますが、ビジネスの現場において「給与」と「労働」の等価交換はまず不可能なものでしょう。相手との対等な関係を意識すると「同等」か、もしくは「それ以上」の返礼をして、始めて受贈者(労働者)は安心を得ることが出来るのですから。
経営者は社員に金銭を「贈与」する。そして社員は「本当に会社から与えられた分だけ自分は働いているのか?」と、常にプレッシャーを感じながら労働します。他人から親切を受けた弱者がある種の「屈辱感」を抱くように、管理職を含む全社員は、いつも経営者に対して「負い目」を感じているもので、その負債を返済するように彼らは労働に駆り立てられるのです。
 
給付はほぼ常に、気前よく提供される贈り物や進物というかたちをとっている。さらに交換(つまり社会的分業そのもの)の必要形態にこのような性格を与えた多様な原則をすべて述べたいのだが、ここではその1つについてのみ深く考察しよう。
それは、未開あるいはアルカイックといわれる社会において、受け取った贈り物に対して、その返礼を義務付ける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのかという問題である。<贈与論:マルセル・モース>

 
人類学者マルセル・モースは、贈与(相手に何か贈り物をすること)には特殊な力が宿っていて、それは受け取った側に返礼を強いる効果があるものだと説きます。
つまり、経営者は社員に給料と言う負債の烙印を押しつけ、債務者となった社員は、今度は自分が贈与すること(労働すること)で、はじめて身に帯びた負い目の呪いを「祓う」ことが出来るわけです。
 
世の中には太っ腹な、気前のいい人間が多く存在します。 しかし、贈与の力を巧みに使いこなす彼らからは、贈り物をすることにより受贈者を債務者の地位に貶め、自身の優位性を確保しようという下心が見えなくもありません。(タダほど高いものはない、とよく言いますね。)
哲学者のイマヌエル・カントは、他人から親切を施されることによって生じる「負債」を異様なまでに嫌悪しました。親切という行為は不平等を通じてのみ現れるものだと彼は言う。他人に親切を施すとき、あるいは他人に金銭を与えたりするとき、与える側にはある種の「優越感」が生まれます。街頭で募金をしたり、友人にご馳走したりする行為は、相手を喜ばす以前に自分でも「気持ちいい」ものでしょう。我々のあらゆる言動には「自己利益」のためという「下心」が働いていることを忘れてはいけません。
 
 
posted by もときち at 11:31 | BUSINESS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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