2009年07月12日

クラシック音楽の話


ショパン:12の練習曲 作品10/作品25 / ポリーニ(マウリツィオ) (演奏); ショパン (作曲) (CD - 2008)
村上春樹の長編「1Q84」が5月29日の全国発売以来100万部を突破したらしい。 村上春樹は自身が最も意識していた三島由紀夫(45歳没)の最後の長編「豊饒の海」を想定して「ねじまき鳥クロニクル」を書いたが、今回の「1Q84」は村上春樹が長編作家として生涯目標に据えていたドストエフスキー(60歳没)の傑作「カラマーゾフの兄弟」を想定して書かれている。つまり本作は今までの村上作品のなかでも最長になるということで、もちろん全2巻で完結するような話ではない。


しかし「1Q84」はそのような作者の思い入れに反して傑作とは言い難い内容である。僕なんかは一読者として「ねじまき鳥クロニクル」以降の村上作品は、どうも同じところをグルグル回っているような印象を受けてしまうんだな (まあ相変わらずスラスラ読めて面白いんだけど)

ところで、村上春樹の「1Q84」効果で作中で紹介されたヤナーチェクのシンフォニエッタまで売れに売れているという (オーウェルの1984が売れているという話はあまり聞かない)
ヤナーチェクはクラシック音楽愛好家の間ではわりと有名な作曲家で、シンフォニエッタの他にも「イェヌーファ」や「利口な女狐の物語」といった代表作が数多くある。ちなみに個人的に一番好きなヤナーチェク作品は「クロイツェル・ソナタ:ハーゲン弦楽四重奏団」である。クロイツェル・ソナタは、不倫した妻を嫉妬のために殺す男というドロドロした内容の文学作品(トルストイ)だが、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲ではトルストイの小説に渦巻く嫉妬の感情がじつにうまく表現されている。

今どきクラシック音楽を聴いている人なんて前世紀の遺物みたいに思われてしまうかもしれないけれど、何かのきっかけで今まで人々があまり興味をもたなかった文化が急に注目されることは結構ある。
クラシック音楽に関して言うと、最近ではピアニストの辻井伸行さんが脚光を浴びた。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに日本人として初優勝し、マスコミにも一斉に取り上げられて、デビュー作がシンフォニエッタよろしくすごい勢いで売れているそうだ。ただ「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」というのが、そこまで権威あるコンクールなのかは疑問だし、マウリツィオ・ポリーニやクリスティアン・ツィメルマンといった世界的ピアニストを生んだ「ショパン国際ピアノコンクール」に比べると、やっぱりどうしても見劣りしてしまう。辻井伸行の演奏に関しても「彼の将来に期待します」というのが、現段階においては最も妥当な評価ではないだろうか。ちなみにクリスティアン・ツィメルマンは小澤征爾指揮のもと「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」で素晴らしい作品を残しているので、辻井伸行の「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」と聴き比べてみるのも面白いだろう。

クラシック音楽も、結局は個人の好みである。作曲家の好みもあれば、演奏者の好みもある。僕なんかはラフマニノフといったらクリスティアン・ツィメルマンのピアノ協奏曲第2番ばかり聴いていたせいもあり、はっきり言ってそれ以外の演奏はあまり知らない。マウリツィオ・ポリーニも僕が好きなピアニストで、ショパンのエチュードといったらアシュケナージを差し置いてポリーニの完璧な演奏だけが頭にこびりついている。

 
posted by もときち at 21:12 | ENTERTAINMENT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2009年07月18日

環境問題について

周知の通り、アメリカにとってのイラク戦争は石油資源強奪のための戦争であった。
日本にとっても、EU諸国にとっても、もちろんアメリカ合衆国にとっても、石油は需要の高いエネルギー資源だが、その中にあって何より石油資源を必要としたのは、やはりアメリカという国であった。
日本は島国だから、石油資源の確保をほとんど輸入に頼るしかなかったけれど、そのような地政学的状況にあったからこそ、オイルショック以降の日本は、石油資源の浪費を抑制して省エネ型の経済社会へと転換していけた。しかし一方で、アメリカは依然として膨大な石油エネルギーの浪費型経済に停滞しており、だからこそ彼らはクウェートの石油を必要としたのだし、そのような意味で昨今流行の「エコ」や「クリーンエネルギー」といった環境運動に最も反対していたのが、実はアメリカだったということが出来るだろう。
 
そう、アメリカは地球環境保護運動に最も反対的な立場をとっていた国である。温室効果問題を例に挙げると、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出により、海面が上昇したときに被害を受ける多くの国はベトナムやバングラデシュなど南側であり、アメリカのような北側はほとんど被害を受けない。あるいは受けたとしても合衆国南部の(一部の)州を放棄すればよいだけの話だと、彼らは開き直っていた。そのアメリカがここに来て、驚くべき変わり身の早さで「グリーン・ニューディール」などと言うのは何故だろう。
もちろん、アメリカが動く理由はいつも決まって「お金のため」だ。
 
アメリカ合衆国大統領にバラク・オバマが就任すると、彼はイラクからの撤退を宣言して「New Energy for America」というビジョンを掲げ、石油浪費型の経済に見切りをつけようとした。そして、クリーンエネルギーの思想は、オバマ大統領の詩的なスピーチによってその魅力が世界中に伝わった。このような状況下にあって、日本企業がエコビジネスに飛びつくことは当然の流れとも言える。「環境」と名のつくものであれば政府はたんまりと助成金をだしてくれるし、「未来の地球のために」というテーマは、実に心地よい響きとなって、我々の心を掴むものだ。ただし「環境にやさしい」ということに厳密的な定義は無いし、あるいはその言葉が、企業のキャッチフレーズになって独り歩きしているだけなのかもしれない。だから、この加熱する環境問題については、少し立ち止まって考えてみることも必要だ。
 
環境保護運動をはじめると、そこには偽善と露悪の戦いが生まれる。まず一方では「未来の地球のために」という美名に乗っかって、環境ビジネスを始める連中がいる。けれども、それは本心から地球のためなどではなく「連中自身の金儲け」のためという欲望が渦巻いている。
また一方では、それら偽善者の環境運動を痛烈に批判する連中がいる。しかし、批判する側の連中ときたら生産的なことはまるでなさないし「どうせ何をしても無駄だから」とか「放っておいても地球の気温というのは変動する」などと居直るだけだ。こういった二項対立のみで物事を考えるのではなく、そうではない世界で適度に地球環境へ貢献していくことがスマートなやり方ではないだろうか。
 
地球環境問題が人間社会にとって大きな課題であることに間違いない。かつての経済社会システムは、地球環境のそれと比べれば極めて小規模な問題に過ぎなかったのに対し、20世紀以降においては、地球環境のそれと比べて経済社会システムがあまりにも大きくなりすぎた。そして、このような問題が露呈してくるなかで、何らかの対策を講じようとする集団と何もしたがらない集団と言うのが現れる。ひと括りに言ってしまえば、それが「偽善と露悪」の戦いであった。90年代アメリカは少なくとも露悪的な立場にあったのが(昨今の金融危機の影響も受けて)お金のためのエコロジーという偽善的な立場をとるに至ったのである。
 
「気温が低下している地域もあり、温暖化は起きていない」などと、地球温暖化に懐疑的な連中はどこにでもいる。しかし、エコロジーというのは結局のところ未来の問題なのだ。確かに、これこれこういう経緯で地球は温暖化しているんだという、はっきりとした仮説と立証は出来ていない。にもかかわらず、取り返しのつかないことになって後悔しないように、怪しいものはとりあえず自制しておこう…というスタイルが、不確実性に対する最も効果的な処方箋なのかもしれない。

 
posted by もときち at 12:24 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 

2009年07月22日

トレーダーの条件

かつて、FX(外国為替証拠金取引)が高い注目を集めていた時期がありました。具体的にいうと、2005年からサブプライム問題が浮上する2007年あたりまでの、いわゆる円安トレンドだった円相場の時期です。この時期は「米ドル/円」でさえあれば、どんな素人でも利益が出る状況で、カリスマトレーダーとか何億円も稼ぐ主婦とか、そのような投資家ではない一般人までもがもてはやされ、FXは金融市場の一世を風靡しました。しかし、同時にそれは不幸な時代の始まりでもありました。彼らはたまたまFXで勝ち続けた結果、それを己の実力であると錯覚して、2008年には多くの損失を被ることになったからです。
 
先日、僕の知人が「自分にFXを教えてほしい」と依頼してきました。なぜこんな時期に…とも思ったのですが、どうやら彼はFXを 「楽して儲かる」 ものと勘違いしていたようなのです。なるほど、FXには数多くの幻想がつきまとっています。少ない元手で簡単に大金が手に入る、株などを知らない素人でも出来る、何より仕事を辞めて自由な時間が手に入る…。まあ、まったくの的外れではないのですが、FXでそれなりに高いパフォーマンスを確保して、ましてや生活していけるだけの安定的な収入を得ていくには、市販の「FX入門書」を読んで、なんとなく始める程度では、まず不可能といってよいでしょう。
 
それでは、なぜ当時(2005〜)は、ずぶの素人がああも簡単に勝ち続けることが出来たのでしょうか。そもそも、FXは元手の資金をそれほど必要としません。FXには「レバレッジ」といい、元手10万円を証拠金として預けることで、その100倍=1000万円規模の取引が可能なルールがあるわけです。そして、そこに「スワップポイント」が加わります。
スワップポイントとは、取引を行った際の2通貨の金利差のことで、たとえば金利0%の通貨と金利10%の通貨で取引を行った場合、その差10%分もの差額分だけ自らの収入となり、毎日スワップポイント分の受け取りが発生します。
しかし、これらは2国の通貨に金利差があって初めて実現するものです。2008年9月のリーマンショック以降、アメリカを始め各国がこぞって自国の政策金利を下げてきたことは我々の記憶に新しいでしょう。日本円の金利0%、米ドルの金利0%…このような状況下では、スワップによる恩恵は望むべくもない。2008年末は、多くのFXトレーダーが悲鳴をあげました。(僕の従兄弟から聞いた話ですが、彼の友人もFXで一夜にして500万円の損失を被ったといいます)
 
ともあれ、FX専業のトレーダーとして生活していくことは非常に難しい。だって、本当に誰でも簡単に大金が手に入るのなら、金融のプロといわれている証券会社の社員たちが、片っ端から会社を辞めて独立しているはずでしょう。にもかかわらず、証券会社で年収1000万とか稼いでいる人たちが辞職しないのには理由があります。つまり、FXは金融のプロだからといって必ずしも勝てる類の商品ではないということ。
まあ、証券会社の兄ちゃん達は、いまだにデリバティブを開発して高利回りの危険極まりない金融商品を「必ず儲かりますよ」といった甘い言葉で、そこらへんの素人資産家に売っています。誰もそれを詐欺とは咎めません。銀行にしろ証券会社にしろ、金融機関というのは「お客様の利益になる金融商品」を売るような輩では決してなく、「我が社の利益になる金融商品」をお客様に売りつける、正統派セールス軍団なわけですね。話がそれましたが、FXは金融の知識があるとか、高学歴だからとか、その程度のバックグラウンドだけで儲かるようなものではありません。
 
ある経済学者が自著のなかで「男にとって妻子とは不良債権である」という、けしからん記述をしていましたが、トレードで勝っていくためには、そのくらいの“リアリズム”が、あるいは必要なのかもしれませんね。
妻子、マイホーム、あるいは経営している会社と、そこで雇っている従業員たちの人生。たった1人でそこまで多くのものを背負っている人生は相当なプレッシャーでしょう。一方で「失うものがない」というポジションにいるだけで、トレーダーはメンタルにおいても圧倒的に有利です。
 
 
posted by もときち at 16:37 | ECONOMY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする 
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